浦﨑智哉の,,, ルーツ

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美容師を目指した 島の少年

時は21年前の1995年。当時15歳の中学3年生。

小4から 夢中だったバレーボールを引退した時期。

丸刈り少年が ヘアスタイルを自由にできると解放された時期。

クラスの友人の、従兄弟の兄が美容師さん ということで一緒に連れて行ってもらった。

それが “キッカケ” かな。

市役所通りの[ G-jungle]

今まで “バリカン” でしか 髪を切ったことがない少年が、

初めて “ハサミ” でシャシャシャッ て切ってもらった感動はシビれたよね。

 

 

グラムール・ベルェベル・ルトーア 

大阪の美容学校の名前です。

はい、お分かりの通り「カタカナ」です。

そもそも学校見学や、体験訪問などすら 行かず資料だけ取り寄せて、選びました。

 

昔から カタチから入る性格のわたくし。

美容学校の選択肢も「カタカナ」の校名のみ。

理由は ただ カッコいい。ただそれだけ。

 

沖縄本島はまず選択肢外。

東京は群雄割拠 過ぎて出来上がっている。

福岡では なんかこと足りない(当時はですよ、、、)

間の 大阪なら、なんか ちょうどいいのではないか。

大阪で てっぺん 目指そう!

 

18歳の少年の、モテたい、カッコつけたい、目立ちたい。

幼稚な3拍子 が揃えば 判断基準なんて、もはや基準値と呼べるものか、、、 笑

 

そんなことで  グラムール美容理容専門学校 に進学しました。

 

 

自分で言うのもなんですが、、、

一途なんですよね。

コレと決めたら、脇目も振らず 一心なんです。

 

小4から高校3年まで バレーボール を9年間。

スニーカーは ナイキ より アディダス派。

好きなミュージシャンは なんと言っても MONGOL800

人生のバイブルは SLAM DANK

好きな色は  青

好きなのは 飛行機

好きなスイーツは ティラミス と チョコミント

人生このかたブレないモノたちです。

 

 

美容師になると決めた15歳から今まで、

自分で決断したことは、必ずやり抜く。自分が自分に約束してることです。

 

そうだな。。。

今 思えば、

「〇〇なりたいな〜」ではなくて

「〇〇になる!〇〇にする!」と 全て決めきってきたな。

 

決断したら 一途に やり抜く。

それのみ!!

 

人生 一世一代 の決断。

あとは やり抜く!

周りからも 「よく決断しましたね」と言われますが、

このルーツが僕にはあって、根本がそんな人間なので、僕的にはいたって普通なのです。

そんな わたくし 浦﨑智哉 でございます。

 

そんな 頑固一徹で、分かりやすく単純な僕を 選んでくれて

14年連れ添ってくれてます 妻と二人で、

U + luve heart’s And Be を盛り上げていきまっす!

(はい、最後に一途アピールしました www)